親鸞さんは決して万能な方ではない。
誰かの言説と比較して、
「親鸞に近い」
「親鸞だ!」
など、親鸞さんの言説を基準や前提として、彼以外の言説を評価する。若干、彼以外の言説は劣るものとして述べられる。
だが、彼はお念仏申すことを勧める人であって、彼の言説は南無阿弥陀仏に全集中してある。だから、彼の文章は基準や前提でもなければ、評価基準でもない。
彼は人格者や神格化されているが、それは宗教団体や思想家の事情であって、彼は「南無阿弥陀仏」の信徒の一人であり、表現者でしかない。
ナムアミダブツ
ナムアミダブツ
この単純明快な行を享受したに過ぎない。
彼ではない「彼」の言説が彼として、基準や前提、応用、利用されている。
彼が本当に明らかにしたいことが分からなくなる。
誤解されすぎている親鸞。
実にシンプルなことをお伝えしたいだけだと思う。
ナムアミダブツ
ナムアミダブツ