雲住記

あるお寺に住まいし者の記録

何を?信じる?

日本の宗教団体の一つ「真宗大谷派」では、毎月、寺院向けに『真宗』という機関紙を発行している。

来月号に「対談」という欄があり、宗派の研究機関である「教学研究所」の所長と、名古屋大学の名誉教授との対談文が掲載されている。

私が問題にしたいのはお念仏を勧めないこと。

「念仏者は何を信じて生きるのか」という対談テーマだが、話し合うまでもなく、極めてシンプルに「念仏申すこと」なの。

お念仏以外に何か他にあるかのように思われている。

この対談も宗派の業界の暗黙の了解として、大前提として答えが決まっている「対話」なんですw

つまり、対話でも対談でもない。

平和運動や諸運動の大義や根拠に資することが誓願ではない。僕らの頭や心の落着でもない。

シンプルに

何でもないときでも

お念仏申すことが誓願の成就であって、我々の運動の根拠には成らない。

宗派も

研究所も

僧侶も

お念仏申すことを勧める者がマイノリティー化している。

お念仏申そうよ

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏